zzai2011-05-10

「世界には赤塚(不二夫)が欠けている」原発なんてくそ食らえ」は賛成でも反対でもないって…すごいな by 大友良英

日本語の中に我々の〝れきし〟があって〝ふるさと〟があって 互いにわかちあっている。 ツイッターをしている瞬間に、過去が未来に転じてゆくような感覚を感じた。

「福島から文化(音楽、言葉)を発信することで、福島をチェルノブイリにしない」

私は言葉そのものになりたい
by和合亮一

命しかない。けれど、命がある。これが希望である。この震災で多く尊い命を失ったがここにある命はそして経験は脈々と受け継がれ大河となるだろう。希望を絶やしてはいけない。by団鬼六

楽しさは生きる喜びであり、希望に繋がる、と快楽主義者の私は思うのである。生きていることを実感し、共に同じひとときを分かち合うことが出来る喜びを味わおうではないかと思う。下を向いているばかりでは何も始まらない。
 東北にもこれから桜が咲くだろう。どんなに寒い冬でも必ず春が来るように、必ず桜は咲くように、どんなに辛い時でも、必ず日は昇る。津波や、放射能に侵された地にもやがて鳥が種を運び、花を咲かすだろう。
 今東京は桜が満開である。桜は日本の心である。桜を愛でることは日本人を愛でることだと今年は一層強く感じるのである。by団鬼六

命なんてのは、使うときに使わないと意味がねー。(「竜馬がゆく」)

言葉はオレの中で渦巻いている。今も過去も未来もね。by自分
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とまあ、ネットで見つけた言葉並べてみました。詩作っていうのはオレ的には結構気持ち悪くてもっと短いものがいいとかいうのはあるのだけれど。まあいいや。ところでオレは本来的には言葉じゃなくて写真が武器である訳なんだけど、デジタル趣味も共存してるので正当な機材評価っていうのは難しいみたいな事情はあるんだけど、例えば機材への信頼って何だろうって思ったときに、連休の最後にちょっとアウトドア機材のテストも兼ねて太田周辺の湧水をめぐってみた。相棒はiPodTouch とローライの75mmなんだけどローライのファインダーを見たときに何となく分かったよ。その時は例えばこんな切り取りはどうだろうって機材との対話が成り立っていたような気がする。それで自分が間違わなければオレの想定よりは優れた解像と色調を多分再現してくれる機材。人に寄ってそう思う機材は違うんだろうけど、少なくともオレにとってはローライっていうのはそういう信頼のおける機械であるわけなんだね。ハッセルなんかはそれは優れた表現はあるけれどちょっとこちらがすごく気を使う機材で、そういう部分でまだ自分の信頼を得ていないし、これからもそうかな?よそ行きの場所では凄くいいけど・・・。デジタルではそういうのはないな・・。はっきり言って。でも結構iPodでもついでに撮ってる。けどやっぱりいいな中判のファインダーは美しくて明確で自分が何を撮るのか教えてくれる。ちなみに今日のはハイコントラストに加工して吐き出すアプリなんだけど微調整はきかなくてちょっときつい、やっぱり遊びモノではある。
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今週はまた被災地へ>仕事だけどね。写真撮りたいな。オレの中では自分よりうまく文学的に語れるから。
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被災地じゃなくても震災での被害で心に痛手を追った人は多いし、すぐ動きたい奴もたくさんいるし、いろいろな事情で動けない奴もたくさんいる。でもOKだ、日常を取り戻す事はとても重要で普通に生きている人が多くいる事がとても大事だ。自分に出来る事をするだけだ。でもその行きどころのない心の怒りを忘れないで欲しい。この国の自由は血を流しはしたが勝ち取ったものではないし、血を流させた奴がまだ生きているのだ。