被災地へ・・・。山元町と多賀城塩竈。言葉では語れない衝撃とでもいうのだろうか。とりあえずオレの別宅は割れた基礎を残して消失。1Kmくらい先で防砂林と防波堤と消波ブロックに隠されていた海岸はわずか60mに見通しよく存在しているらしい。。。らしいというのも立ち入り制限が行われているからなんだがその前に入った人の話ではそういう事のようだ。被災地の現実は窃盗と墓荒しレベルの犯罪が多発していて遺体の指を切って指輪を持っていく事もあるらしくて自警団に近い組織が作られている。ここは部落ごと津波で消失。一面の瓦礫と泥で調査終了の白旗がなんとも痛ましい。地盤の変動も激しくて、国道もなんとか通行してる区間もあるというか・・・。地震計の数値はともかく、データより揺れてるところはかなりある印象。
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山元は田舎の海沿いの小さな町なんだけど、多賀城仙台港塩竈の隣接で港もあるし、商工業の集積もそれなりにあるんだけど、一ヶ月たって尚、波と共に破壊された建物や車が正直物凄い・・・。自衛隊の小隊もまだ遺体の探索活動を続けていたりするので、復興時期にはまだ至らず・・というのが実情。被災の大きい地区はライフラインなんてまだまだ・・・というか、そのままではリスクも大きく通電は難しい。ちなみにここってオレが小学校から高校まで過ごした町で、凄く懐かしいし、街並みは大きく変わったけれどやはり思いはある。
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今回は仕事でもあるんだけど、心折れてる人が大量に発生してしまった・・・と実感。分かる、自然の力は圧倒的で復興っていっても被害が甚大すぎる。やっぱり陳腐だけれど「がんばれっ」て皆で背中を押してあげないとダメだ。一人はやっぱり弱い。ホヤもカキもフカヒレも笹かまもやっぱり食いたい!その思いが多分被災地の背中を押してあげてるんだと思いましょう。それは一見普段の動きを取り戻しつつある仙台の中心部でもやっぱりそうで、居酒屋は食うもの対してないし、いつもは使わないバス路線は行列で唯一動いている地下鉄は都心ばりにぎゅうぎゅう詰め。コンビニはすかすか。給水があれば行列。さらに止まらない余震。ほんの近くで仮設住宅の建設が進む。日常とは程遠いのだ。
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ところで原発が片付かないと復興への道筋は付けられないっていうのは確かなんだけど、宮城の被災地では正直そんな事は後の話って印象。5年後の発症の事なんて考えられる状態じゃない。早く温水器を復活させてお風呂に入るのが目先の問題なんですよこれが。でも女川が持ちこたえている事実と福島のへたれっぷりは、やはり過去に多くの自然災害を抱えていた東北電力と、人の事だと思っていた東京電力の差と思わずにはいられないっていうか事実そうだと思う。自然災害への実感。これが安全への意識の差だったと思う。そういう意味では今回の問題は東京電力にほとんど全ての問題があるとオレは思うけどね。必要な手はずを打っておけばなんとか避けられた問題だったと思う。
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ところで今回の被害の中で東北の人と話する機会も増えていて、あんまり出てなかった方言が微妙に復活。「がんばっぺ」でもないけど、方言って美しいよね。やっぱり。