一日というのは

  • いろいろあるもんで・・・

ツールの関連サイトを見ていたらカサルテッリが他界してから
もう10年もたつんだなあ・・・
最近の自転車業界では死人っていうとなんだかクスリ関係かあ
みたいなモノが多かったから今でも事故でのカサルテッリは
記憶に残っている。(TVでも見ていたのだよね)
ツールは今年もランスがポジション確保で盤石な体制だけれど
実際何がおこるか解らないのも確かだから・・・しかしなあ・・
インデュラインでも最後は弱さを見せたけれど・・・
このまま勝ち続けて引退というのは・・・どうもなあ・・

  • 祭・・・とは

熊谷は仕事でよく行くから熊谷のうちわ祭りとうのはそれなりに
興味を持って見ている。今の祭りというのはどこもそうだけれど
マツル対象もよく分からず祭りの為の祭りという印象ではあった。
サンバやよさこいみたいなものはそういう部分であちこちで見か
ける。それが悪いという事はないのだけれど、祭り本来の持って
いる意味とは違い祭りを祭り足らしめる為の装置でしかなかった
とは思う。
ふと思うと魔を払うという意味でああいう山車の光みたいなものは
意味を持っていたのかとおもわないでもない。想像すると昔は光と
いうのはとても意味が有ったものだと思う。
「逢魔の時」というのは今、有効な言葉なのかは知らないが、祭を
キーワードとすると何となく意味が有る。
宇都宮にいるときはあまり感じなかったが、今はそんな感じがする。

オレは祭りの例えば乱交的な意味合いとかそういうのは大して興味
はないのは確かなのだけれど・・・・
非日常な部分には血が騒ぐのは確かだ。そして非日常を醸し出してい
るのは何なのか?衣装?屋台?
オレにとってはそれは音であると今日気づいた。祭りの音というのは
地域によっていろいろあるのだろうが、熊谷の音は魅力的だ。
早すぎず、しかしビートを失わない。金管楽器のクールな響きは魅力的で、
日本人の持っている深層意識?に働きかける。単調で確かな存在感。
ノイズとは違いしかし似ている。前に平林寺という禅寺で感じたあの
感覚。オレにとっての祭りとはそこに存在感が有る。

思えばオレの写真というのは常に音とともにあったのだ。
そういうものを伝えられる写真を撮ろう。本質さえ伝えられれば
それでいい。